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新・理学気功的気まぐれ言いたい放題!

新・理学気功的気まぐれ言いたい放題!

「こころ」の持ち方編

「こころの毒」は5000倍といわれるほど強いので、真面目に「冷えとり」を実行しても、思うように効果が出てこない人もいます。どうしたら、「こころの毒」を減らせるのでしょう?

『自分本位の考えをやめて、他人本位になれば良い』というのは、確かにそうですが、そう出来ないから苦労するわけですよね?その辺りを詳しくお話しましょう。私ごとで恐縮ですが、かく言うこの私も「冷えとり」開始前は予約のドタキャンや全く言うことを効かない患者に対しては、よくイライラしていたものです。

人間というものは、『自分を認められたい』『損はしたくない』という意識は必ず持っています。その真意は『一体感』ではないか?と思います。裏を返せば『分離感』を感じることに対して拒否反応があるということではないでしょうか?私がイライラしたのも『分離感』を感じ、それを持て余した結果に他ならないということです。

私たちは、常に他の誰かと繋がっている感覚なしには生きられない存在なのです。極論ですが、純粋に「自分勝手」な言動によって満足を得られる人間はいないと思います。

なぜなら、私たち全員はもともとひとつの存在だからです。

そのことさえ、確信できれば、『他人本位の考え』が結局は自分にとって一番好都合な結果に繋がることに、当たり前に「気づく」のです。私が知る限り、そのことを確信できる近道が「冷えとり」という包括的科学体系だったわけです。自分自身のからだの中にこの世の全ての「理(ことわり」が凝縮している、と言ってもいいと思います。

「からだの変化」が「こころの変化」を生むのです。精神論や「生き方」を説いた本だけでは、決して「こころの変化」は起きません。それどころか、反って自信を失くすことの方が多いのではないでしょうか?私もそういう思い出があります。

「宇宙」にもビック・バンという始まりがあります。
太陽系、銀河系、そして「地球」にも・・・・
もちろん、生命体にも始まりはあります。
私たち人類、私たちひとりひとりはビック・バンをひとつの始まりだと考えても、もとは「大きなひとつの存在」だったと思うのです。

『無意識』という、こころの領域があります。

そこでは、時間・空間を越えて、私たち全員の『無意識』が繋がっている ー という仮説があります。
証明することは出来ませんが、そう考えなければ説明のつかない、特殊な「感覚」は誰でも持っているものですよね。『何となく・・・』や『ピンと来る感じ』といった、いわゆる『むしの知らせ』的な感覚もそうでしょう。

私たちは『意識』や『自我』を持った存在です。「こころ」といってもいいかも知れません。そして『無意識』は「こころ」と「からだ」を統合しているような存在だと考えられます。

様々な「毒だし」反応は「冷え」が取れて、からだの機能が回復すればするほど、強くなってきます。しかも、見た目は状態が悪くなっていくように思えるので、「不安」を感じてしまうこともあるでしょう。
しかし、注意深く状況を見据えると、あることに気づきます。明らかに「気分」が軽ろやかで、不快感がある割には「やるべきことは出来る」し、「からだは動く」のです。

確かに内臓に溜まった「毒」というものはあるんだ、という事実に気づいた時から、不快なイメージが薄らいで「毒」のでる状態を「楽しむ」ようなき持ちになってきます。

その過程で、各内臓はバラバラな存在ではなく、確かに「こころ」も含めた「一体の存在」であることを感じ取るようになります。考えてみれば、私たちの「からだ」はひとつの受精卵から細胞分裂してできているのです。心臓も肺も腎臓も全ては「一体の存在」であることは否定のしようもありません。

自らの「からだ」で味わった「一体感」は、やがて自分自身が「宇宙」という自然と「一体」であり、自己と他との関係においても同様であることを感じ取れるようになるのです。それはどんな人たちにも起こっている「真理」です。
これを味わったら、『どんな人間関係にも意味がある』気がしてくるから、不思議です。いつも自然との「一体感」を感じられることで、随分と気持ちが楽になっていきます。なぜかトラブルも減ってくるのですが、これを一般には『運気』が良くなるというのでしょう。

人間の「からだ」は、まさに「宇宙」の縮小モデルだといえるのです。病気や症状を契機に自らの「からだ」で壮大な実験実習が出来るわけですから、考えようによれば、全くもって運がいいと思えなくもないではありませんか?


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